YGGオーナーズクラブ 一口馬主

さらば始まりの乙女たち レーヌドゥール&ミーナティエルナ 次なる道へ

さらば始まりの乙女たち レーヌドゥール&ミーナティエルナ 次なる道へ

こんにちは、まちかね太です。

年の瀬を間近に控えた先日、YGGオーナーズクラブでの出資馬レーヌドゥールミーナティエルナの引退・ファンド解散が相次いで発表されました。

両馬とも状況的に覚悟してはいましたが、現実となるとやはり寂しいもの。

自分にとってレーヌドゥールはYGG入会のきっかけとなった馬、ミーナティエルナは実際に初出資しクラブでの初勝利をくれた馬。

やはり少なからず思い入れもありますので、徒然なるままに振り返りレポートでも残しておこうと思います。

引退馬プロフィール・レーヌドゥール&ミーナティエルナ

レーヌドゥール

(牝4・オルフェーヴル×クラリティーアイズ by キングカメハメハ)

総戦績:18戦5勝(5・4・0・1・3・5)※うち地方(5・4・0・1・3・3)

ミーナティエルナ

(牝5・ドゥラメンテ×プレインズウーマン by Zensational)

総戦績:25戦3勝(3・2・2・1・1・16)※うち地方(2・2・1・1・0・5)

現役時代の振り返り・所感

広尾TC・ワラウカドで一口馬主を始めた2020年の年末ごろ、中小規模の日高系クラブではどうしても一世代丸ごと不調という状況がありうるので、リスクヘッジとして負担少なめに入れるサブクラブが欲しいな~と思って色々なクラブの情報を漁っていた時にたまたま目についた、とあるツイッター。

そこに映っていたのは、かわいらしい栗毛の当歳牝馬。
クリコと呼ばれていた彼女はどうやら推し種牡馬オルフェーヴルの娘で、将来YGGで募集される可能性が高そう。

まちかね太
まちかね太

この仔に出資したいぞ!

元々ライト会員制度のあるYGGは「負担少なめのサブクラブ」候補として気になっていたこともあり、これを決め手に入会する事を決めました(とはいえ当時のクリコは当歳、まだ実際に募集確定という訳では無かったのですがw)。

そして当時残口のあった1歳募集馬(ほぼ全馬残っていたような記憶もありますが)の中からとりあえず1頭出資することとし、下河辺牧場産のシニスターミニスター牡馬と谷川牧場産のドゥラメンテ牝馬でちょっと迷って様子見したりはしましたが、最終的にドゥラメンテ牝馬プレインズウーマン19(ミーナティエルナ)の方を選んで21年3月にライト会員として入会。

まちかね太
まちかね太

栗毛大正義!

(なお、翌年実際にクリコ(クラリティーアイズ20、のちのレーヌドゥール)が募集される際にライト会員制度が廃止となり、最低口数も変更。「負担少なめのサブクラブ」の定義から外れつつあったこの時に、ミーナ1頭のみでお終いにしようかなと思ったこともありましたが、1年待っていたクリコにはやはり出資したかったので正会員としての継続を決めています)

ミーナティエルナ

さて、そうして我がYGG出資馬の一番槍の役目を担う事になったミーナティエルナは、馬体こそ小さめなものの概ね順調に育成期間を過ごし、栗東・寺島良厩舎から21年8月の新潟芝1600戦で早々にデビューを果たします。

が、出遅れて9着。次走は中1週でフェニックス賞(OP)に格上挑戦しましたがここも出遅れて7着。

その後、ソエの症状が出ているも出走には問題なさそうという事で「距離は長い方が良さそう」と芝2000m戦への続戦が検討されていましたが、当該レースのメンバーが揃っているという事で急遽ダート1200戦に変更。

まちかね太
まちかね太

そんなことある?

しかしチークピーシーズを初装着した9月20日のこのレースではスタートがこれまでになく良く、3着に好走。
この結果を受けて陣営は「ダート馬でしたね」(寺島師)と判断し、以後ダート路線を進んで行くことになります。

中1週で臨んだ次走は大きな不利もあり8着に終わりましたが、更に中1週で走った牝馬限定ダート1200戦では先行して5着。

チーク装着後はスタートも安定し、これならいずれは……と希望が見えてきましたが好事魔多し、このレース中に右前膝の橈骨遠位端を剥離骨折してしまいました。

見舞金6ヵ月のそこそこ大きなケガでしたが手術は無事終わり、不幸中の幸い予後も良好。

三重ホーストレーニングセンターでの療養を経て22年3月末に宇治田原優駿ステーブルへ移動。
ただ到着後から蹄に不安が出て歩様が安定しない状況だったのですが、4月19日には栗東へ帰厩しました。

状況的に拙速が過ぎるのではと思いましたが、調教での動きは問題ない(と言うかむしろ良い)とのことで5月1日のダ1200戦で復帰するも、好スタートを切った後に控えてしまい7着に敗退。
その後中1週、更に連闘で連戦しましたが、砂を被ると一気に後退するようになってしまい共に二桁着順に惨敗してしまいました。

この砂被りに弱くなってしまった点は後々ずっと尾を引くことになります。

その後ソエの治療をしつつ、勝ち上がりに向けて残されたチャンスを掴む為、夏の小倉へ。
砂被りを嫌がるようになったため再び芝へ矛先を向けることになりましたが、短距離戦では節不足で入らなかった為、7月3日の芝1800戦に出走し6着。

それでも距離にある程度のメドは立ち、節稼ぎを兼ねた放牧後、8月14日の小倉ダート1700牝馬限定戦に出走。
時期的にもう後がなくなったこのレースで、ミーナティエルナは初の鞍上となった永島まなみ騎手に導かれ早々にハナを奪うと、4角ではセーフティーリードを確保してそのまま最後まで押し切り歓喜の優勝!

まちかね太
まちかね太

いやー嬉しかった!

当然YGG出資馬での初勝利でもあり、当時の観戦記事を見返すとあの時の気持ちを鮮明に思い出せます。

ただ、結果的にはこれがミーナティエルナの中央競馬での最後の輝きとなってしまいました。

その後右膝の屈曲痛、右前の蹄腫と脚元のトラブルが続いて療養が長引き、次走は翌23年2月まで待つことになります。
そこから2戦しましたが、永島騎手から乗り替わった鞍上が消極的なレースをしてしまい共に惨敗。

更にその後右中手骨が欠け、手術。一応の回復後に乗り出しを開始してからも蹄を痛めたり歩様が悪化したりしてなかなか順調に行かず、どうにか11月に復帰して2戦するも15・12着と完敗し、2戦目はタイムオーバー。

「気持ちが無くなっている」(寺島師)とのことで、ここで中央での戦いに終止符が打たれることになりました。

であればここでファンド解散かな……、と思いましたが、クラブは地方移籍しての現役続行を選択。

11月末に船橋の新井清重厩舎に移籍し、当初はテンションが高かったり飼葉食いが悪かったりしたようですが、じっくりと調整。

24年1月17日の船橋C2級で地方デビューを果たし、ここは8着に敗れたものの、その後もコンスタントにレースを使い徐々に成績も上昇。

前3走3→2→2着としての移籍後6戦目となる7月15日の朝顔特別(浦和・C2・ダ1500)では先行策から直線入り口で抜け出し、久々の勝利を掴むことが出来ました。

その次走での4着を挟んで、9月17日のテレ玉BACHプラザ特別(浦和・C1・ダ1500)も逃げ切り、通算3勝目をゲット。

B3級に昇級後はスムーズに先行することが難しくなり大敗が続き、12月23日のノースポール特別6着をもって引退・ファンド解散が決定しましたが、一度は気持ちがなくなったと言われた馬を立て直して勝利を2回加えてくれた新井師はじめ厩舎関係者の皆様には感謝の念が絶えません。

中央時代の寺島厩舎については、脚元の弱いミーナティエルナと積極的に出走を重ねていく厩舎のスタイルは正直なところマッチしていなかったと思いますし、明らかに手が合わない厩舎所属ジョッキーを主戦起用し続けたことも疑問ではありますが、初勝利の感激を与えてくれたことに違いはありません。

まちかね太
まちかね太

両厩舎の皆様、
ありがとうございました!

ミーナティエルナの成績を振り返ると好走は6~9月に集中しているので典型的な夏馬だったということになるのでしょう。
もう少し走る姿をみていたかったのも事実(一口馬主DBの回収率があと少しで100%到達でしたしw)ですが、もう5歳の冬ですから次の夏を待つのも非現実的。

この後は繋養先未定ながら繁殖牝馬になれるとのことですし、次のステージでまた頑張って欲しいと思います!

募集時のミーナティエルナ(プレインズウーマン19)

レーヌドゥール

一方、レーヌドゥールという競走馬名を貰ったクリコは、育成時代から他馬を蹴りに行ったり厩舎のガラスを割ったりと大変なお転婆ぶりを発揮していた模様。

聞いているだけの身としては「やはりオルフェの娘……」とホンワカしてしまうところですが、現場の方々はさぞ大変だったことでしょう。

まちかね太
まちかね太

ご苦労様でございました……

これらのエピソード的にはすごく元気そうではあるのですが、実際の育成進捗としては体質トラブルが続きなかなか上手く運びませんでした。

北海道のグリーンマイルトレーニングセンターから22年(2歳)8月に本州のスピリットファームに移動。
北海道時代から脚元はモヤつき気味でしたが、10月末に右前深管骨瘤発症、11月に腰部打撲。療養が長引き、回復後に乗り込みを開始した23年2月にはスクミと左肩筋肉痛。

3月からはまた乗り込みを再開され4月に美浦・尾関知人厩舎に入厩を果たしましたが、既に未勝利戦終了まで半年も無いという危機的状況。

それでも入厩後は大きな頓挫も無く、6月10日の東京芝1800牝馬限定戦で待望のデビューを迎えましたが、後方ままの16着。
外厩に居た時には485キロあった馬体が出走時は438キロだったので、そのあたりも影響したように思いました。

その後外厩に出るも、右前に骨瘤を発症。ガレた馬体を戻す必要もあり暫くは軽めの調整となり、7月半ばから強めの調教を再開。
466キロまで馬体を戻して8月6日に尾関厩舎に戻ります。

しかしそこから調教を重ね、勝ち上がりラストチャンスとなる9月2日の新潟芝1600戦に出走した際には、馬体重は前走より更に減って430キロ。
それでも頑張りましたが9着が精いっぱいという結果で、レース後すぐに笠松の笹野博司厩舎への移籍転厩が発表されました。

その後、一旦三重県の名張ホースランドパーク内きおりステーブルに移動。
その時の馬体写真がここまでガレるかというくらいにガレガレ。素人目にもこれはヤバいと思わせるようなもの。
馬格的に500キロあってもいいと言われる馬が430キロで出走し、更にレース後・輸送後と言う状況ですから仕方ないのでしょうが、だいぶ心配な状態でした。

レース後のエコー検査でデフューズが見られたこともあり、きおりステーブル移動後しばらくは回復に専念。
その甲斐あって9月末には460キロ台まで回復し、10月頭からは乗り出しも開始。

11月頭には502キロまで増量し、左前に腫れがあるものの大きな問題ではないとのことで11月14日に笠松に入厩しました。入厩時は480キロ。

以降、足裏に熱感を持つものの調教は順調、ただし飼葉食いは悪くなっていくという状況で迎えた12月6日の移籍初戦・マックル賞(C24・ダ1400)には前走比プラス46キロの476キロで登場。それでもまったく太目感はありません。

まちかね太
まちかね太

むしろもっと太って!

レースでは行きたがってしまい5着に敗退。使ったことで体重も落ちてしまい、続く27日のC22組(ダ1400)ではマイナス9キロの467キロ。
ここは先行して2着。馬体減は心配ですがレース内容は前走より随分良くなり、今後に期待が持てる内容でした。

そして年が明けて1月9日のC23組(ダ1400)。馬体も少し戻して472キロでの出走となったここで、単勝1.0倍の圧倒的人気に推されたレーヌドゥールは序盤からハナに立ってレースを展開すると、最後まで後続に影を踏ませず2着に3馬身差を付けて優勝!

ついに念願の初勝利を挙げることが出来ました!

まちかね太
まちかね太

やりましたー!

レースの格がどうとか賞金額がどうとか関係なく勝利は嬉しいものですが、仔馬時代から(一方的に)見守ってきた(つもりの)馬が艱難辛苦の末に掴んだ初勝利ということで、やはり格別。
このブログでは普段は地方の一般戦の個別記事は書いていませんが、この時(と次走)は流石に書いたりもしました。

このレースで「逃げ」という勝ちパターンを確立したレーヌドゥールは、以後勝利を積み重ねていきます。

1月23日の冬将軍特別(C13・ダ1400)では、YGGの同期バークエムに7馬身差を付ける圧勝劇。
続く冬天の星特別ではトモエに捕まり2着でしたが、2月22日の第44回安田ろろ誕生日記念(C8・ダ1400)は2着ニューアルケミーに6馬身差を付け逃げ切り完勝。

この時点で中央復帰要件となる3勝を達成した形になりましたが、クラブサイドからは再移籍に関するアナウンスはありませんでした。

個人的には、美浦から東京・新潟への移動ですら大きく馬体を減らしていた輸送に激ヨワなレーヌドゥールが中央に移籍しても、臨戦に足る状態でレースに向かえるかどうかは疑問が大きかったこともあり、特段再移籍に拘っていたわけでは無いので、それならそれで別にOKというスタンス。

ただ、ここで左前の膝裏が腫れぼったくなり熱感が出たため、いずれにせよ一旦休養を挟むという事になりました。
馬体も464キロまでまた減ってきていたのでちょうどいいと思いましたが、この時はあまり馬体重は回復せず、5月30日にまた笠松に帰厩した時には475キロでした。
それでも背中の痛みなどは取れ、脚元も問題なかったようなのでいいリフレッシュにはなっていたのではないでしょうか。

復帰戦は6月21日の飛騨川特別(C1・ダ1400)。ここでも逃げを打ち、2着ウインフランシーズに3馬身差を付け勝利。

続いて7月17日にB級昇級初戦・アジサイ特別(B2・ダ1600)に挑戦。笠松に来てから初の1600m戦となったここではハナを奪えず番手からの競馬となって掛かってしまい、5着に敗退となりました。

それでも距離を戻した7月31日のB7組(ダ1400)では2着エルメニアをクビ差抑えて逃げ切り、B級戦でも勝利を達成。

しかしこの辺りから行きっぷりに翳りが見られるようになり、一息入れてから再びの1600m戦となった処暑特別(B1・ダ1600)では逃げられず、そして掛かりもせず6着に敗退。

ただこの時は落鉄していたという話だったのでそれも原因かと思われましたが、続く9月11日のB5組(ダ1400)でもハナを取れず、折り合いはついたもののブービー7着に完敗。

「本来もっと煩いはずの馬がちょっと大人しすぎて、気持ちの面が……」と言われる中、9月23日に走ったB5組(ダ1400)ではハナには立ったものの早々に捕まってしまい4着。

ここで佐賀への移籍が決定し、9月28日にはもう真島正徳厩舎に入厩。
飼葉食いが遅いとは言われるものの掛かっていく部分はあるとのことで、環境の変化が少し気持ちに影響を及ぼしてくれたのでしょうか。

およそ1ヵ月の調整は順調に進み、11月10日に迎えた佐賀初戦・C2-7組(ダ1300)では当初から逃げる気は無かったようで好位からレースを進めましたが、逃げ馬をハナ差捉えらえず2着と、笠松で曲がりなりにもB級勝利している身としては悔しい敗戦。
馬体重も464キロまで減ってしまっていたので、その影響もありそう。

それでも中1週で迎えた11月23日のC2-6組(ダ1400)。前走の反省からか今度は強引にでもハナを取りに行きましたが、早々に後退して5着。

どう見てもパフォーマンスが本来のものに足りていないので、ここらで一旦完全にリセットしてリフレッシュした方がいいのではと素人目には思いましたが、陣営はそのまま中1週で12月7日のSAGAリベンジャーズ(C2-6・ダ1400)に出走するも、道中2番手からそのまま2着まで。

このレース後の上がり運動中に両鼻から鼻出血したとのことで、これはいよいよ休みを入れる必要が……。

しかしなんと更に中1週で、12月22日のSAGAジョッキーズセレクション(C2-4・ダ1400)に出走。

まちかね太
まちかね太

……マジで言ってる?

そしてレースではロクに前にも行けず、挙句早々に後退して大差の最下位完敗。

レース中に鼻出血を発症していた模様。ほぼ間違いなく肺出血でしょう。

この結果を受けて、ファンド解散・引退が決定。
肺出血は再発の危険性が高いですし、仕方のない判断だと思います。

思いますが、これはどう見ても人災でしょう。

確かに笠松終盤以降、レーヌドゥール自身に積極的に走る気が無くなっていたのかもしれませんが、歓喜の初勝利から一年も経たないうちにこういう幕引きになるとは思っていませんでした。

まあ地方競馬では費用対効果などを考えればそうそう休養など与えられず、走らせてナンボという世界なので、続戦の判断も一概に責められはしないのはわかっているつもりですが、やはり感情的には簡単に納得できるものではありません。

とはいえ、残念ながらこれもまた競馬と受け入れるしかありませんね……。

初勝利を始めたくさんの喜びをくれた笠松の笹野師はじめ厩舎関係者の皆様、中央時代の尾関厩舎の皆様にはここで改めて感謝を。

まちかね太
まちかね太

ありがとうございました!

レーヌドゥールは繁殖には上がらず、乗馬となる予定のようです。
本来は馬格があるはずの馬ですし、オルフェーヴルは母の父として優秀だと思っているので残念な決定ですが、競走実績や体質面の弱さを考えるとこれもまた仕方のない事。

とはいえ何も繁殖入りばかりが幸せの道という訳でもないですし、大事にしてもらえるところへ行って第二の馬生を謳歌してくれることを願います。

まちかね太
まちかね太

次の舞台でも頑張れクリコ!

募集時のレーヌドゥール(クラリティーアイズ20)
まちかね太
まちかね太

それでは今回はここまで。
お読みいただき、おおきにありがとさんです。

(記事中の写真・公式情報はYGGオーナーズクラブ様公式HPより許可を頂き掲載しております。)

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